江田島の『三高山砲台跡』に行ってきた。

瑞井ツーリング日記
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まえがき

こんにちは、瑞井です。
今回は広島県江田島市にある三高山砲台跡に行ってきました。
この砲台は前回の宮島にある『鷹ノ巣山砲台』と同時期に作られたもので、ソースは見つかりませんでしたが位置的に現 広島市の方へ侵攻する敵船を鷹ノ巣山砲台と三高山砲台で挟み撃ちすることを想定していたのだと思われます。
では、写真を交えてレポートしていきます。

場所

まずは三高山砲台跡の場所です。

広島県江田島市の山中です。
アクセスは車かバイクがいいと思います。自転車は坂道がきついですし、島外からのアクセスだと距離があるので辞めたほうが無難です。
行くまでの道中は宮島の道より圧倒的に快適です。きれいに舗装されていますし、ガードレールがあります。そして砲台跡の手前には駐車場があり、お手洗いも完備です。しっかり整備されていて命の危険は基本的にありません(危険な道はもう結構なので最高です)。

本編。

・駐車場横の案内板

宮島と違ってしっかり観光地化されています。砲台の歴史も案内板が出ていて分かりやすいです。

・駐車場横のモニュメント

大きい遺跡で保存状態がいいとのことで、土木建築として価値のあるものだそうです。

・砲台

電気の配管などが気になったり安全のための柵があったりが気になりますが、崩壊している箇所も無くてとても綺麗です。

・砲台にある案内板

※写真が使われていてそのままブログに使っていいのか分からないため、モザイクを入れております。
この砲台が使われていた当時の写真と砲のスペックなどが書かれていました。気になる方は是非現地へ!

・区画間の通路

砲台は宮島のものと同じで砲2つで一区画になっていて、各区画をこの通路で結んでいます。
宮島と違うのは各通路の横に倉庫なのか部屋があることです。

通路から下の部屋を見下ろすとこんな感じ。

・通路下の部屋

先程見下ろしていた部屋とは違いますが降りてきました。
中の状態も良さそうですしせっかくなので入ってみます。

中はこんな感じで白いモルタル(?)で作られていました。

・観測所までの階段

砲台跡の端に上へ続く階段がありました。
この上に観測所があります。

階段の中腹には謎の横穴が。物置?

・観測所

階段を登りきると目の前に観測所があります。
宮島にも同じような観測所跡があるそうなのですが、前回の探索では見つけることができなかったので実物が見れてよかったです。宮島はいつかリベンジします。

・兵舎跡などへ続く階段

立派な石の階段です。
手すりがありますが、バリアフリーなので歓迎です。
その他の箇所もきれいに保存されていて、すばらしいです。

前回の宮島編も読んでくださった方なら気がついたでしょうか?
この階段、作り方は宮島と同じですが、両端の壁の上に載せられているのが宮島と同じ石材ではなく煉瓦です。どういった理由で煉瓦と石材の差ができたのかは不明ですが、面白い違いです。

・掩蔽部跡

階段を降りるとすぐ先に掩蔽部跡が見えてきます。掩蔽部とは敵の砲火から身を守るためのシェルターのことです。

兵士全員が入れないと意味がないので部屋はかなり大きく、そして二部屋が奥で繋がってコの字型になっていました。

余談なのですが、窓枠などに使われているこの石材すごくお洒落じゃないですか!?
軍事施設なのだから装飾の加工などのしていない石材でいいはずなのに、装飾を施すのには驚きです。
呉鎮守府などを始めとして日本軍の施設はおしゃれな建物が多いですよね。

・炊事場跡

炊事場跡です。
こちらに関してはあまり状態が良くないですね。他の場所の状態が良かっただけに残念です。
こちらは宮島の方がいい状態で残っているので、そちらの記事を御覧ください。

・炊事場跡正面の塀

煉瓦造りの塀がありました。とてもいい雰囲気です。それだけです。

・兵舎跡

兵舎跡です。
色々と手が加えられていますが、一番保存状態が良いです。
中に入ってみたかったですが扉は鍵がかけられていたので無理でした。

・展望台

兵舎の裏側には展望台がありました。上の写真は広島市方面です。
遠くに見えるのが広島市中心部です。

視点を左に向けると宮島が見えます。写真の真正面に少し霞んでいる大きな島がそれです。
前回の鷹ノ巣山砲台は画像の中心あたりにあります。
こうしてみると綺麗に直線状に位置しているのが分かりますね。
当時の海軍省が軍事的に重要な拠点である広島を守るためにいかに迎撃のための拠点選びを重要視していたのか分かります。

・南部砲台跡

南部砲台跡は先程までの北部砲台と違い地面がデコボコでぬかるんでいたりと荒れていました。
なので、写真はこの2枚しか撮れていません。

南部砲台の構成は今まで見てきた砲台の一区画だけが置かれているような感じで、とても簡素でした。
北部砲台がメインで南部砲台はあくまでサブといった感じなのでしょう。

あとがき(総括かもしれない)

といった感じで三高山砲台跡のレポートは以上になります。
写真で見ていただいたように三高山砲台跡は歴史的建造物として隅々まで整備がされていました。
人も少ないので(このときは1人もいませんでした)家で弁当を作って車やバイクで行けば誰とも接触せずに行って帰ることも可能です。
是非、行ってみてはいかがでしょうか?

以上、瑞井でした。また次の何かの記事でお会いしましょう。それでは。

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